日時:平成28年5月21日(土)17時~
場所:カフェ&バーROGA(札幌市北区北7条西5丁目5)
テキスト:「日本はなぜ、『基地』と『原発』を止められないのか」
(矢部宏治著、集英社インターナショナル)
参加者:小林真之、八重樫幸一、浅田政広、米澤修吾、渡辺敏昭、南 幸衛
コメンテーター:八重樫幸一
今回のコメンテーターは八重樫氏。冒頭、この本の試みとして著者・矢部氏のいいぶりを次のようにご紹介。ーこの事故(福島第一原発メルトダウン事故)をきっかけとして「なぜ?」という疑問(謎)が出てきた。例えば、なぜ事故の責任者はあ誰も罪に問われず、被害者は正当な補償を受けられないのか、等である。誰もがおかしいと思いながら、大きな流れを止められない。どうすれば解決の道を見出せるのか。その謎を解くカギを、敗戦直後までさかのぼる日本の戦後史の中に求めようとするものである」。読書会では、八重樫氏の詳細かつ簡潔なレジュメをもとに沖縄の基地問題に対する日本の権限範囲とその根拠、日本原子力協定の仕組み、戦後体制と昭和天皇との関わり、国連憲章と講和条約の関係など著者の見方を勉強しました。写真は、懇親会風景。時のなごやかな雰囲気がよく出ていると思います。
日時:平成28年7月9日(土)17時30分~
場所:中村(旭川市3条7丁目中通りトーエービル2階)
テキスト:「日本海繁盛記 」
(高田 宏著、岩波新書)税込550円
参加者:小林真之、八重樫幸一、浅田政広、米澤修吾、渡辺敏昭、南 幸衛
コメンテーター:浅田 政広
今回の旭川開催の読書会は、初めて高砂台を離れて旭川駅前で開催。観光客が増えて、高砂台の宿が取れず、浅田先生がご苦労の末、ようやく駅前の神田ホテルを確保していただいたもの。読書会の会場は、同ホテルに近い中村というお店の畳敷きの個室。落ち着いたいい部屋でした。最初に浅田先生からレジュメに従い、詳細かつ簡潔なご説明。著者の高田氏の郷里は石川県最南部、浅田先生の郷里は福井県最北部で県境で接しているということなどがもこの本をテキストに選んだ理由だそうです。この本で福浦港、江差港といった北前船で栄えた港、代表的な北前船の船主、乗組員を輩出した海商の村・橋立村、瀬越村、海難に遭遇した時の海の男たちを支えた祈り、北前船の落日などこれまで深く立ち入って知ることのなかった北前船の歴史やそれを支えた人々の暮らしぶりを理解することができました。浅田先生もこの本を「北前船の盛衰を鮮やかに描くとともに、小説の味わいを持ち、優れた文学書を読み終えたような気分に浸らせてくれる良書である。」と評しています。参考資料として北前船の里資料館、北前船主屋敷・蔵六園のガイドブック、浅田先生ご自身が撮影された瀬越の北前船主の墓(特に夫婦墓)、北海道新聞の記事(「北前船文化」日本遺産へ発進、2016.6.9)をご用意いただきました。それと放送大学北海道学習センター客員教授としての随筆的?意見文「憲法公布70年に当たって願うこと」(2016.7発行、同センター「てんとう虫」第104号)もご紹介いただきました。読書会終了後は、恒例の飲み会。食べ物が美味しかった。その後、初めて2次会へ。太鼓をたたく女性店主がスナック「花の館&ナチュラル」(有名な三六街にありました)で歓談し、歌いました。翌朝は恒例の浅田邸の森の中のような広大な庭で奥様の手作りケーキとクッキーをいただきながらコーヒータイム。残念ながら渡辺さんは所用で参加できませんでしたが、至福の時を過ごさせていただきました。浅田先生、奥様、ありがとうございました。今回は節目の40回目ということもあり、写真が満載です。
日時:平成28年10月22日(土)17時~
場所:セピアのおしゃべり 炭焼亭(すみやきてい)
札幌市中央区南1条西7丁目11 後藤会館ビル1階
TEL 011-221-4448
テキスト:「『南京事件』の探求―その実像をもとめて 」
(北村 稔著、文春新書)本体680円+税
参加者:小林真之、八重樫幸一、浅田政広、米澤修吾、渡辺敏昭、南 幸衛
コメンテーター:渡辺 敏昭
今回は、主会場であるカフェ&バーROGAが改装で使えないことから、代替会場として初めての開催場所です。紹介者はこれまで何度か利用してきた南会員。個室ではありませんでしたが、読書会の一角は他のお客さんがおらずほぼ個室状態。料理も接客もよく気持ちよく読書会を進行することができました。
日時:平成28年12月10日(土)17時~
場所:カフェ&バーROGA(札幌市北区北7条西5丁目5)
テキスト:「ひとはなぜ戦争するのか」
(A.アインシュタイン、S.フロイト著、浅見昇吾訳、講談社学術文庫)
参加者:小林真之、八重樫幸一、浅田政広、米澤修吾、渡辺敏昭
コメンテーター:米澤 修吾
国際連盟国際知的協力機関からアインシュタインに「今の文明で最も大切と思える問いについて意見交換してもらいたい」と提案があった。これに対してアインシュタインが選んだテーマは「人間を戦争というくびきから解き放つことはできるのか」であり、意見交換の相手はフロイトであった。
アインシュタインはフロイトへこう問いかける。戦争の問題は多くの人たちが真剣・真摯に努力してきたが、数世紀の間、国際平和は実現していない。その原因は人間の心の中にある平和への努力に抗らう種々の力であり、その悪しき第一の力が権力欲であるという。国家の指導的立場の少数の者たちの権力欲が戦争につながっていくが、それにしても多くの国民がなぜ少数者に従うのか。それは人間には心の奥底に眠る憎悪と破壊という心の病があるからである。ではこうした心の病に冒されないようにするにはどうすべきか?フロイトならその方法を示唆できるのではないか。(1932年7月30日)
アインシュタインからの問いに対してフロイトはこう答える。人々の間の利害の対立の解決策は原始の時代は基本的に暴力、社会が発展するにつれ法(権利)となる。法(権利)とは共同体の権力であり、利害の対立の解決策は多数の人間の暴力となる。しかし、その多数の人間は、ばらばらの力を持った人間で構成されており、法(権利)は不平等な力関係を反映するものとなる。つまりは、法は支配者に都合のよいものになる。この支配層と抑圧された人間との利害対立の解決策は暴力となる。人類史では争いや対立は戦争によって決着されてきた。しかし、征服により勝ち得た状態は長続きしない。しからば戦争を確実に防ぐ道として、強大な中央集権国家を作り、利害の対立が生じた時にこの権力に裁定を委ねるべきである。とはいえ目下のところ国際連盟に各国の主権を譲り渡す見込みはほとんどない。人間はなぜ、簡単に戦争に駆り立てられるのか。人間には「保持し統一しようとする欲動」と「破壊し殺害しようとする欲動」があり、人間の行動はこの2つの欲動の組み合わせで引き起こされる。人間の攻撃性を戦争という形で発揮させないためのヒントのひとつは破壊欲動と逆の欲動を呼び覚ますことである。それは愛する者への絆と一体感や帰属意識によって生み出される絆である。もうひとつのヒントは、優れた指導者を作る努力である。文化は知性を強め、欲動をコントロールする。また文化は攻撃本能を内に向ける。文化の発展がもたらす人間の心のあり方は戦争への拒絶、戦争への拒絶感を生みだし、戦争の終焉につながる歩みとなる。(1932年9月)
以上、当日欠席したため、コメンテーターの米澤氏から後日いただいたレジュメから概要版を作ってみました。なお米澤さんから2016年10月22日に北海道大学で開催された「戦争は人間の本性か~縄文時代から見えてくること」と題する岡山大学大学院社会文化科学研究科の松本直子教授の講演の概要をご紹介いただいたようです(文責・南)。
日時:平成29年2月4日(土)17時~
場所:カフェ&バーROGA(札幌市北区北7条西5丁目5)
テキスト:「アイヌと縄文ーもうひとつの日本の歴史」(瀬川拓郎著、ちくま新書)
参加者:小林真之、八重樫幸一、浅田政広、米澤修吾、渡辺敏昭、南 幸衛
コメンテーター:南 幸衛
今回はメンバー全員参加。旭川市博物館館長で考古学・アイヌ史がご専門の瀬川拓郎氏の著書「アイヌと縄文ーもうひとつの日本の歴史」を読み、意見交換しました。この本のはじめに同氏は「縄文の末裔であるアイヌの歴史を振り返りながらアイヌが最後まで守ってきた縄文思想、私たちの原郷の思想を考えてみたい」とこの本の目指しているところをまず述べます。そして縄文文化を「心の文明」であるといい、「これが人間の本性に根差したものであったとすれば我々が本来、富や権力や階級といった非対称なものを忌避し、心の連帯を求める存在と気づく意味は現代社会を相対化する上で小さくない」といいます。この縄文人と形質的、言語的、イデオロギー的に最も近いのがアイヌであるとし、「アイヌが守ろうとした縄文思想とは、『親戚』として人々を結びつける連帯の原理であり、商品交換を忌避したのは商品交換が人々を不平等化し差別化していく対極の原理であったからだ。」といいます。メンバーからは瀬川氏が主張する東アジアや北東アジアの習俗である3年の喪が孔子の教えを起源としていることに対する疑問や生活の糧を狩猟に特化した人々と連帯の関係の経済学的アプローチが不足していることなどいくつかの指摘が上がりましたが、この本が大変興味深い内容で満たされていたことは間違いありません。席上、浅田教授から講演会他のご案内をいただきました。意見交換の後は懇親の宴。八重樫氏の不規則発言に大笑いしながら大いに盛り上がりました。その中で故酒井教授のお嬢さんを札幌にご招待して酒井ゼミ同窓会を開催しようという話がでました。是非実現させたいものです。